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5月の空

2022.05.07

category_[所感]

木の葉の間から見えるどこまでも透けるような青空が好きです。

わたしは性格的についつい鬱屈してしまいがちなのですが、ふっと頭を上げこの風景に気づいたとき・・・。小さな驚きがわたしのこころを目覚めさせてくれます。5月の空は本当に喜びと元気を与えてくれます。

足元には庭園デザイナーの石原和幸先生が作られた鳥かご?があります。

家内が長崎の三原庭園にお花を習いに行くのですが、いつもご褒美に先生の作品をもらってきてくれます。見てお分かりのとおり、このかごは閉じ込める構造はしていません。しかし、なぜでしょう?このかごは独特の雰囲気を持っていて、そのうち小鳥が訪ねてきてくれるかもと空想してしまいます。

最近ひとつ気づいたことがあります。

わたしは寝起きの時、いつも暗い気持ち、もっと細かく分析すると“うしろめたい”気持ちを感じて一日をスタートしていました。ずっとそのことに気づかずに過ごしてきたのですが、ある日、“わたし自身が解放されていなければ、ひとに何も伝えることができない”と考えたときに“無意識のこころが解放されていないから、わたし自身が解放されていない”つまり“ついつい暗い夢ばかりみるわたし自身には問題がある”と考えてみたのです。

そうすると“なぜわたしの無意識は解放されずにいるのか”という疑問に行き当たります。そのヒントが“うしろめたさ”にあると思いました。

わたしたちは毎日活動をしますが、その行動には動機があります。仕事であったり、行楽であったり、食事をしに行ったり、それらの行動をしようと思うとき、こころの声を聴きながら行動することもありますが、多くの時間を欲、食欲や睡眠欲、所有欲などからだの欲望を起点にして出発することが多々あります。これらの欲はあくまでも自分を満たすためのものです。わたしが“うしろめたさ”をどこかで感じているのはここに原因があると思ったのです。

わたしのこころは無意識のうちに“こうありたい”“このように生きたい”という気持ちを持っています。おそらく、そのこころが自分中心の生活をしたときに、つまり“自分中心の欲望を満たす行動をした”ときに、きっと“そうではない”“そうするべきではなかった”と言っているのです。だから“うしろめたい”のだと思います。これではわたしはいつまでたっても“わたしを好きになる”ことができません。

そこで、わたしは何をしたいかを“頭で考える”のはやめようと思いました。わたしのからだはわたしのものである以前にこの宇宙のものです。この宇宙がわたしのからだを通して何をしたいのかをこころつまり宇宙の奥底に任せて生きてみたいと思うのです。そうすれば、何も隠すことはない生活が自然にできると考えたのです。

自然の中の動物や植物がそうであるように、わたしたちも後ろ暗いことのない生活をしていきたい、こころからそう思います。その解決のヒントがどうもこの自分中心というところにありそうだと思われませんか?