ブログ

Blog

アバターその2

2022.05.11

category_[イメージトレーニング]

ずいぶん前のことになりますが、警察医をしていた時にある女子大生の自殺を検視をしたことがあります。

わたしは検視にあまり慣れておらず、警察の方に逐一事情や所見を訊きながらの対応でしたし、大学の医学部で勉強していなかった特殊な亡くなり方だったのでよく覚えています。

国立大学にストレートで入学した才媛でした。初めての一人暮らしであろうアパートの一室で玄関のドアノブにひもを結び縊死されていました。お父さんが遠方からこちらに急いで向かっているということも胸につまりましたが、それ以上に印象的だったのが自殺の動機が容姿に関するコンプレックスだったという当時のわたしにとって理解しがたいものだったことでした。

この時のできごとはわたしのそれ以後の人生でも、たまに思い出されます。あのアパートに向かう川辺の風景が何とはなしに浮かんでくるのです。何か感傷的になるわけではありません。どこかこころの中にとげのようにひっかかっているんでしょうね。あの時の彼女に亡くなる前になにかしてあげられなかったかとつい考えてしまうんです。

先日アバターの話をしました。最近はイメージトレーニングでいろんな方のことをアバターだと思って見てみます。きれいな女優さんが結婚されたりすると、少し残念な気持ちがわいてきたりしていたのが、今はまったくわきません。たぐいまれなスポーツ選手や事業で成功した方を見ても、以前と感じ方がまったく違います。以前はうらやましいと感じていたそれらの方々について、今回こういう優れたアバターを割り当てられてそれを乗りこなしている方なんだなと感心するようになりました。

容姿の違いや才能の良しあしがアバターの性能や型式の差でしかないと感じられるので、その差異自体はたいしたことでないように感じます。それよりも与えられたアバターを大事に扱い、その性能を十二分に発揮されていることをすばらしいと素直に思えます。なぜ自分にもそのようなよいアバターが与えられなかったのかと思う方がおられるかもしれませんが、それは変えようのない運命なのですから・・・、わたしは自分のアバターで十分です。どんなアバターにあたるかは宝くじのようなものですが、よいアバターに当たったことを誇るよりも、アバターを用いてどんな生活、活動をしているかが重要です。わたしはこころのありようの方が見た目よりも重要だということが、このような考え方をしてみてわかるようになったのです。

すごいアバターをもらってもそれを使いこなせるかどうかわかりませんし、性能が良すぎて使っていてつまらないかもしれません。それよりも個性的なアバターの特性をよく研究して十分に使いこなす方が楽しいように思うのですが・・・。

アバターとしてのからだは世界中誰のものであっても奇跡のような出来栄えです。このからだがあるおかげでわたしたちのこころは目に見えないだいじな思いを表現することができるのです。

スターウォーズのクローン兵士のように世界中の人が同じアバターを持たされていたら、それこそこの世はつまらない世の中になっていたでしょう。それぞれのこころがそれぞれ違うアバターとしてのからだを持っているからこそ、多様な関係ができ、刺激し合い、感動しながら生きていけるのだと思います。

今になってしまいましたが、あの彼女にこのような言葉を贈ってあげられたらと思います。