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脳とこころ

2022.06.13

category_[心理学]

人間は脳でものを考えます。

もっとくわしくいうと、視覚や聴覚などの感覚器からの情報を受け取って、その情報を分析したり、なにかの感情を感じたり、情報を記憶したりまた後の行動を計画したりします。

これまでの医学の歴史で、この事実はいろんな形で実証されてきました。

脳腫瘍の治療のために脳を切除された方や脳梗塞で脳の一部が壊死した方の中に急に性格が変わってしまう方がおられます。わたしの親戚にも心臓の手術中に血栓が脳に飛んでしまい、脳の一部が壊死してしまった方がいました。その親戚は人格者で知られていた方でしたが、手術の麻酔からさめると、卑猥な言葉をしゃべり続けるようになり、性格も粗野になってしまったとその家族が嘆いていたのを思い出します。脳が記憶や考え、性格の形成に深くかかわっているのは間違いありません。

さらに、医学の歴史の中で脳の手術が積極的に始められた頃は、てんかんの方や統合失調症の方にも脳梁切断術や脳の特定の部位の切除術が行われましたので、それらの患者の手術後の状態を分析することで脳の各部位がどのような役割を果たしているかということまでくわしく知られるようになってきました。

しかも、神経細胞が他の細胞に情報を伝えるための神経末端(シナプス)では情報伝達物質が放出されるのですが、その物質の量を調整することでうつ病や不眠症などの精神症状がコントロールできるようになりました。これらの薬を使うと気分がよくなったり、意欲が出てきたり、興奮がしずめられたりします。認知症患者に使用される薬は、壊死した細胞を回復させることはできませんが、残った神経細胞のつながりを活性化して一時的に記憶力が戻るなど認知機能を回復させることがあります。

また鎮痛剤の一部や麻薬などの薬物も脳神経の情報伝達物質の量に影響して、人工的に多幸感を感じられるようにします。

このように脳神経細胞の生死や、情報伝達物質の量など脳にある物質的な変化が原因で、こころの作用と思われる思考や感情が大きな影響を受けてしまうことは事実です。ですから、こころは脳にあると考える方が多くおられます。

わたしもずっとこれらの事実の前に悩んできました。前頭葉を失って感情を失った患者さんのこころには感情はないのだろうか、いわゆる植物状態の方にはこころはないのだろうか、つまりそのような方々をこころがない者としてあつかっていいものだろうか?そのような方を目の前にして人格を無視するような会話をしてもいいのだろうか?と考えてきたわけです。

わたしの脳という構造物がわたしの性格や感情を含めたこころを決めてしまうなら、老化して脳が縮んでいけば、わたしのこころも縮んで変化するでしょう、肉体が死んで脳が壊れてしまえばわたしのこころは壊れてなくなってしまうでしょう。

認知症の患者さんと長く接してきて感じるのは、人格と認知機能は別物だということです。ごみ捨てや着替えや皿洗い、トイレでの排泄を失敗してしょっちゅうこどもさんに怒られていても、落ち込まずに大丈夫と笑顔を見せられるこころの強さはこの方のこれまで培ってこられた人間的な強さだな~と感じます。

こういうことがあるので、肉体を動かすための脳にあるこころとその人の人格をかたちづくるこころは別物だと感じざるを得ないのです。