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すべてが「よい」ということ

2022.07.13

category_[出会い]

先日偶然知り合いになった整体師の施術を受けることになりました。

わたしは背骨に力を加えるカイロプラクティックは、失敗して脊髄を損傷した場合の医学的な意味がよくわかるので、基本的にカイロプラクティックとは距離をとるようにしていました。つまり知ろうとしなかったということです。

その日は偶然、その方を整体師と知らずに会話していて話の流れで、首の施術を受ける羽目になりました。座ってくれと言われるので、座ったのですがまさか首の施術をされるとは夢にも思っていなかったので、本当にびっくりしました。今までであれば、その後この方と距離をとろうとしていたかもしれません。しかし、最近のわたしは少し心境が違うのです。

最近のわたしは、偶然人と出会い、なんらかのことが起きるのは、わたしの意識を超えて意味のあることだと考えるようにしています。まずは流れに身を任せてみようと思っているのです。特に疲れて動きたくないときや、自分の中での思い込みが強い時ほど注意が必要だと考えていて、かえって自分の思いにこだわらずに判断するようにしています。自分の考えや思いを中心に判断しないように気を付けているのです。

この出会いにはなんらかの意味があるなと思い、カイロプラクティックに対するわたし自身の主義は横に置いておいて、翌日さっそく予約をとり、お会いしに行きました。とてもいい出会いでした。今までのわたしであれば絶対に出会わなかった人と出会い、知り合いになることができました。

ちょうどわたしは腰痛を克服するために、からだの使い方のくせについて試行錯誤を繰り返していましたが、どうしてもあと一歩のところで解決に至らず、もどかしい思いをしていました。特に胸椎が寝ている間にねじれてしまうくせが障害になり骨盤の使い方がよくないのです。上手な整体や、スポーツジムでからだの使い方や筋力のアップ、インナーマッスルの鍛錬、骨盤固定バンドの使用などいろいろ試していましたが、なかなかうまくいきません。本当にあと一歩だったのです。

しかしこのカイロプラクティックの整体師の施術を受け、一気に脊椎のよどみがとれました。うそのように腰が安定し、予想もしていなかったことなのですが、丹田を意識して生活することができるようになったのです。

すべてが「よい」と信じること、これがすべてです。自分中心の判断をしないようにしていけば、もともと失敗などないのだと確信しました。流れに任せる中で事故に遭ったり、生命を失うようなことがあるかもしれません。しかし、そのことすら必要なことだったと考えれば、「よい」ことなのです。「よい」ということが、私という小さな存在にとってよくないことでも、もしかしたらこの世の中すべてにとっての「よい」かもしれません。世界の一部であるわたしにとってはきっとそれでいいのです。わたしが予想した以上のことが準備されているので、わたしの予想を超えた事態がおこるのです。

この心境こそ、すべてが「よい」という心境なのだと思います。

わたしという個体の生死にこだわれば、死は失うものが大きすぎる最悪の事態なので絶対に避けなければならないものです。すべての判断は死を避けるために行われることでしょう。

しかし、100年弱の短い期間で死なないという生死の概念をもったわたしがいるとすれば、生死の問題は絶対の問題ではありません。大きな問題ではありますが、すべての判断の基準ではありません。

このような意味でも、死に対する概念を新しく確立することにはとても意味があります。