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ひと息

2022.07.27

category_[時間]

高齢の患者さんの診察をしていて、からだの不調を訴えられると、まず夏バテなど季節的、一時的な問題を思い浮かべるのですが、しかし同じ方に10年以上接しているとそうとも言っていられなくなります。

開業して20年以上になりますので、思い返すと10年などあっという間でした。そう考えると毎月毎月お会いして、変わらない姿を拝見している方でも知らない間に75歳だった方は85歳になっているのです。85歳なら思いがけないいろんな問題を抱えていてもおかしくありません。いつまでも変わらないと思っていた方が、超高齢になっておられるのを忘れてはいけないのです。

さて、今回は時間感覚について書いてみます。

ついついわたしたちは自分の寿命に合わせた時間間隔でものをみてしまいます。

昔飼っていたハムスターが数年で死んでしまったときは、なんて寿命が短いんだろう、もう少し生きていてくれたらと思いました。また北極圏のサメが数百年生きるという記事を見た時は、人間の寿命より長いというだけでものすごい年寄りなのではないかと勝手に想像してしまいました。でも逆の立場で考えたら、どうでしょう?ハムスターから見れば、自分の寿命は正常だと感じているでしょうし、特に不満もないでしょう。人間の寿命が長すぎるのです。サメから見れば、自分は特に年寄りでもないし、普通に生きているだけで、人間は寿命の短い生物だなという感じでしょうか。

要するに時間を長いと感じるか短いと感じるかは、なんとなく自分の寿命の感覚でものをみているということです。最初から時間には長いも短いもありません。それらに相対的な価値が勝手に与えられているだけです。だから早く死んだとか長生きしたとかいう時間の長さよりも、その人生自体にどれほど意味があったかがその人にとっては重要なことです。

1億年とか10億年とかすごく長い時間感覚を持った人が人類を見たとしましょう。私たちの一生など呼吸を一回するかどうかの一瞬の出来事でしかありません。

そんな一瞬の貴重な人生だからこそ、わたしたちにとってはどう生きるかがとても重要です。誰と比べて頭脳が優れているとか、優れた血筋だとか、人種が優れているだとかそんなことにとらわれている暇はないとそんなふうに思うのです。