わたしたちは社会の中でルールに従って生活していますので、そのルールが無意識のうちに考え方の根底にはめこまれてしまっています。
たとえ話をしてみます。
サッカーは全世界で好まれるスポーツですので、ほとんどの方はそのルールを知っていると思います。得点は、相手チームの守るゴールにボールを入れることで生じます。そして、決まった時間内にたくさん得点を入れたチームが勝ちというルールの中で試合が行われます。二つのチームが試合をして、同じルールのもとで試合をするので、得点をとるのが難しくもあり、試合としてはおもしろくなるわけです。ロナウドやメッシといったスターが有名なのは、彼らがこのゴールにボールを入れる高い技術を持っているからです。
さて、明日からこのサッカーのルールが大幅に変更されることになったとします。二つのチームが試合をするのは変わりませんが、どれだけたくさん得点をとったかではなく、お互いのチームの選手がどれだけ試合中に長い距離を走ったかを比べて勝敗をつけることになりました。
試合が面白いかどうかは別にして、ルールが変更になっただけでロナウドやメッシがあっというまにお役御免になるのは間違いないでしょう。
ルール変更とはこういうことです。本当に大変なことです。
経済の世界では、こんなルール変更が行われたことが過去にあります。デノミネーションです。お金の価値を明日から10分の1とか100分の1にすると政府が発表するのですが、なにが起こるかというと、国の持っている借金が一瞬で小さくなります。100兆円の借金が一晩で1兆円になるのです。99兆円の借金が帳消しになりました。すごい荒業です。ですがこういうことをすると、同時にわたしたちの給料も一晩でものすごく少なくなります。特にタンス預金など現金を持っている人は資産が激減します。ですからお金持ちは、急なデノミに備えて現金だけで資産を持たず、金や絵画などの物に替えて持とうとするのです。普通の人はそんな可能性を考えることすらないですよね。
このようにルールというものは、わたしたちにとって無意識の思い込みにまで浸透していますが、変更されないという保証はどこにもありません。ですから、なにかのルールに依存して、漫然と生きるのはとても危険なのです。わたしという存在についてしっかり考え、その現在地、つまり足元をしっかりみつめながら生きていく必要があるのです。