ちょっとした家庭の悲劇を紹介しよう。カールとアンは、5歳になったばかりの娘レスリーに新発売のビデオゲームを教えることになった。ところがレスリーがゲームを始めると、娘にうまくやらせようと思う気持ちの強すぎる父と母は、かえって邪魔をしてしまう。右と左から矛盾した命令がレスリーの耳にとびこんでくる。
「右へ行くの。右!ストップ、ストップストップ!」母親の声はしだいに熱をおびてくる。娘のレスリーは唇をかみ、大きく見ひらいた目で画面を見つめながら、母親の言うようにコントローラーを操作しようとがんばっている。
「ほら、並べなくちゃダメだよ。それ左!左だってば!」父親がぶっきらぼうに言う。
母親の方はいらいらして天を仰ぎ、カールの声をさえぎるように叫ぶ。「ストップ!ストップ!」
父親の言うとおりにも母親の言うとおりにもできないレスリーは口もとをゆがめ、涙がもりあがってきた両目をしばたたいている。
カールとアンは、泣きそうな娘をほったらかして口げんかを始める。
「だめよ、そんなに左じゃないわよ!」アンがひどくいらついた口調でカールに吐きすてる。
涙がレスリーの頬を伝いはじめる。しかしカールもアンも気づかないのか無視しているのか、娘の面倒を見ようとしない。レスリーが涙をぬぐおうとしてコントローラーから手を放すと、父親がぴしゃりと言った。「こら、スティックから手を放すんじゃない・・・。いいか、こんど来たやつを撃つんだぞ。うまくやれよ!」そこへ母親の声が加わる。
「わかった?ちょっとだけ動かすのよ!」
レスリーは誰にも気持ちをわかってもらえず、ひとりですすり泣いている。
こういう場面は子供の心に強い印象を刻みつける。涙のビデオゲームからレスリーが得るのは、両親も誰も自分の気持ちなんか気にかけてくれない、という結論かもしれない。
(「EQ こころの知能指数」 ダニエル・ゴールマン)
これは両親の言動が幼児の情動にどのような影響を与えるかを調べた実験の一コマです。すべての家庭がこのようなものではありませんでしたが、少なくないケースで上記のようなシーンが繰り返されました。人の情動は幼児期にその基礎が形成されます。他人に対する信頼や自分の行動に対する自信、意思疎通の能力はこの基礎をもとに形成されていくわけです。ですから、幼児期にどれだけ共感してもらえたか、自分の情動を受け止めてもらえたかという経験はどんな人にとっても重要なのです。
さて、福岡では未成年の少年が通り魔的に女性を刺し殺す殺人事件がありました。犯人の陳述を新聞で読んでいると、生まれてすぐに親から育児放棄され施設や養父母のもとを転々としていた境遇が語られていました。彼は「誰も大人は信用できない」と言っているそうです。彼のような極端な例でない一般の家庭でも、幼児期における情動教育が細心の注意の中でされているとは限りません。
幼児期の環境は自分では選べません。でも幼児は将来大人になるわけですから、周囲にいる大人は幼児の言うことだと簡単に考えず、幼児の言葉にもしっかりと耳を傾けていかなければと思います。