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自分をなくす(俳句にみる共通意識)

2022.12.06

category_[所感]

「自分」という意識をなくして生きるということがわたしのテーマの一つなのですが、なかなかその境地に入れないのも事実です。これまでに考えてきたことをいくつかあげてみます。

日本人同士の会話では主語が省かれることが多いと指摘されます。主語がなくても話が通じるのは、近しい人との会話で、お互いに話の内容がすぐに予想できる場合に多いのですが、日本人は主語がなくても通じるような近い者どうしの人間関係の中で生きてきたようです。島国であったことも原因と思われます。対極にあるのがアメリカ合衆国で、移民を多く受け入れてきた国なので、たくさんの人種や思想や宗教が入り乱れて生活しています。ですから近所の人との会話でも細かいことまでしっかり説明しないと誤解を生じます。なので、主語をとても大事にすると言われます。

俳句の中には「私」という主語は普通含まれません。「古池やかわず飛び込む水の音」自然現象が羅列してあるだけで、それを見て聞いている「私」は入れられていません。このような俳句を作るのに西洋人はとても苦労するのだといいます。ついつい“I”を入れてしまうからです。

ビジネスの会話においては、主語を入れることは必須で、そうでないと話が通じずトラブルのもとになります。しかし、そうでない会話の中で主語がなくても通じる関係というのは、ある共通意識の中で生きていることを意味します。日本人というのは、他者との共通意識を大切にして生きてきたのかもしれません。