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“苦”はいかにして生じるか

2022.12.16

category_[仏教]

今日は「高野山白道」から講話を引用します。

“苦”は「自分の思いの通りに行かない」ので生じるといえます。“苦”は自身から始まるというのです。一昔前のわが国では、子供たちの意識の中にも「無理を通せば、道理がへこむ」という言葉が闊歩していました。でも今は「赤信号みんなで渡れば怖くない」方式の思考が蔓延している状況です。・・・しかし、この様な状況は言ってみれば、国内に“苦”が蔓延しているとも言えるでしょう。その証拠に近年は猟奇的な嫌な事件が多いです。それはとりも直さず自己中心的な思考の行為である無理がまかり通っているからなのでしょう。

人間の“苦”を考えてみる時に、道元禅師は「修証義」の初めの項に、「生を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と記しています。後の文章も含めて要約いたしますと、「生きる事の意味、死ぬことの意味が分からないので迷い苦しむのです。当時は浄土思想が庶民に受け入れられていましたが、極楽とか浄土というのは死んでいくところではなくて、この世の現実の中においてこそ仏(覚ったひと)にならなければならず、この現世で浄土を極楽を迎えなければならないのです。それゆえに、不生不滅の涅槃(永遠の生命)の境地があると心得て貴い教えの導きに順えばいいのです。不二(変わる事のない)の信仰を立てて帰依(教えに従順に従うこと)しなさいと。さすれば、迷い苦しむ生活としての生死はありませんし、生を明らかにし、死を明らかにする事によって、悪縁いっぱいの乱れた世界から“完全に縁が切れた生き方”が自分のものになります。ただこれこそが一番大事な根本問題であるのです」と結論づけています。

(高野山白道 2016年秋季号)

“自分”というものが、どうもすべての“苦しさ”の原因となっているようです。“自分の思い”とはなんなのか、それを叶える、または叶えようとすることにどんな意味があるのか。また逆に自分をなくすことは実際にできるのか。このあたりのことを今後も深く考えていきたいと思います。