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「禍福はあざなえる縄の如し」か?

2023.02.13

category_[所感]

“禍福は糾える縄の如し”なのか?

そうではない!

自分にとっていいこと(福)と悪いこと(禍)は続けてやってくるように見えるけれど、トータルでみると帳尻が合うようになっている、という意味の慣用句ですが、この言葉はそうであってほしいという希望を言っている慣用句であって、実際はそうではない。

ついつい悪いことがおきると、このように胸の中でつぶやいて、次はいいことがあると言いながら今まで自分を慰めていました。特にわたしは物理学が好きで、「エネルギー保存の法則」で世の中が成り立っているとまで思っていたので、この慣用句はとても耳障りのいい言葉でした。

まず「いいこと」と「悪いこと」は自分にとっていいか悪いかの話であるので、基準があいまいです。自分にとって悪いことでも世の中全体の為にはいいことかもしれない。世の中が調和を取りながらまわっているのなら、その事件を通して調和を保ったのかもしれないということです。

わたしは賭け事が苦手なのですが、賭けに負け続けていると、確率的に次こそは反対の結果が出ると考え、さらに負けを重ねてしまいます。勝とう勝とうとして念を込めれば込めるほど反対の結果が出てくるということをいやというほど経験しました。この慣用句を唱えながら考えている間はまったくその通りにならないということです。おそらく当たれ当たれと思いながら宝くじを買っても、まず当たらないでしょう。

まわりの環境とシンクロする時は、どちらかというとあまり念を込めていないときが多いように思います。

自分のまわりで起きる事件を、「禍」であるとか「福」であるとか考えること自体に問題があると考えるようになりました。

きっと、起きた出来事にはすべて意味があるのです。

だから失敗など最初からあり得ません!