その時生まれたもの
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大空に輝く星よりも
小さな島の街灯り
街の灯りが美しい
美しいことを知りました
十人十色であればこそ
瞬き輝きを増す光り
そこに家族が見えました
そこに人々が見えました
ああ 自分の為に生きるより
ああ あなたの為に暮らしたいと
その時灯りが生まれました
その時灯りが生まれました
これは私の好きな歌の歌詞です。
夕暮れの島の風景を歌った歌で、聴いていると薄暗い景色の中にあかりの灯った家々の画像が瞼に浮かんできます。しかし、字ずらだけを見ていると最後の歌詞で、新たにあかりが灯った家があったんだな~という認識で終わってしまいます。
しかし、この歌詞の最後の部分は夫婦が相手を思いやる愛で愛し合った結果新しい生命が生まれた情景を同時に重ね合わせているのですが、感じられたでしょうか?
比喩というのはこのように直接的な言葉で表しにくい情的な思いを表現するのに用いられます。比喩を理解するには言葉の裏側を感じる感性が必要とされるのです。
話は変わりますが、イエス・キリストの話には比喩が多く用いられています。直接的な表現を避けて語られているので、この言葉の裏側を感じる感性がないとなかなか理解できません。
ひとつだけ例をあげてみます。
目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き
マタイによる福音書 11章4節
「目の見えない人」とは実際に視力の低下した方のことではありません。見るべきものを見ない人の比喩です。同じように「足の不自由な人」は病気で歩けなくなった人のことではありません。動くべき時に動かない人を指した比喩です。ですから、これらの言葉はイエス・キリストによる病気の治療を指した言葉ではないことがわかります。