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先祖を大事にするということ

2023.03.10

category_[生と死]

街の中を歩いていると、ビルが壊され更地になっている風景を見かけることがあります。そのような場所をじっと見ていると、ビルが壊される前の風景が断片的に思い出されます。さらに、そのままそこでじっと物思いにふけっていると、徐々に思いは時間をさかのぼり想像ではありますけれども戦後の焼け野原だったり、もっと古い江戸時代の武家屋敷の並ぶ街並みだったりを思い浮かべることもできます。その当時この同じ場所で荷物を背負い歩いていた人の姿を思い浮かべ、今目の前を歩く人の姿に重ねてみたりもします。そうすると、怒ったり泣いたりしながら必死で日々を過ごしている人間というものは何十年、何百年の時間を経ても何も変わらないのだなと実感します。

お墓参りをした時のことを思い出してみましょう。お墓に入っているご先祖様をすべてご存知でしょうか?わたしは半分も知りません。うちの墓石には名前しか知らない親戚の方々もたくさん入っておられます。わたしが知らないだけです。わたしにはわたしの意識している以上にたくさんのご先祖様がいるのです。

別の見方をしてみます。お墓に入っているご先祖様だけがわたしの先祖でしょうか?いいえ、お墓に入っているご先祖様は4代くらい前までが精いっぱいです。ではそれ以前のご先祖様はどこにおられるのでしょうか?わたしは、それらのご先祖様のお骨がどこにあるのか正直知りません。でも墓石ができる以前にもたくさんのご先祖様が代々存在していたことはまぎれのない事実です。

一度ショッキングな光景を見たことがあります。墓参りの時になにげなく墓地の周囲を歩いてみました。裏側がどうなっているか見てみたくなったのです。墓地の裏側は広い空き地になっており、そこにはたくさんの墓石が捨ててありました。古いものから新しいものまですべてが横倒しになっており、土に埋まって一部が顔を出している墓石もありました。いらなくなった墓石が集められ、そこに捨てられていたのです。この事件を通して、結局墓石には永遠性がないということを思い知りました。

ではこれらの墓石に宿っていたはずの方々はどこにいったのでしょうか?空き地にいるのでしょうか?またお墓ができる以前のご先祖様はどこにいるのでしょうか?

ご先祖様がいなくなることは絶対にありません。墓石がないからといって、その方々が存在しなかったことになどなるはずがありません。

なぜなら、その子孫であるわたしがこのように生きているからです。わたしはご先祖様の生命を受け継いだ生命の結晶です。ご先祖様たちは今生きているわたしと一緒にいるのです。ですからわたしという存在は墓石以上の存在なのです。

なので、わたしは先祖になっても墓石に宿るのはやめようと思います。永遠性のある生命、つまりつながりのある子孫を通してずっと生きようと思うのです。

先祖の人生は現在わたしの人生として結実しており、同じようにわたしの人生は子孫の人生として結実していくのです。何世代も何世代も永遠に。