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つながり

2023.03.13

category_[生と死]

最近はDX(デジタルトランスフォーメーション)が流行りですが、この間知り合いから「もらった名刺はすぐにデジタル化して保存し紙はシュレッダーで裁断してしまうと話したところ、多くの人から誰かの名刺が裁断されてしまうことに心理的に抵抗があると言われた」と聞きました。名刺がただの紙であることを誰でも頭で理解しているのですが、人は一度でも誰かと関連をもった物質になんらかの人とのつながりを感じてしまうもののようです。故人と所縁の品をなかなか捨てられなかったり、有名人の所有物に高い値段がついたりするのはそんな理由からなのかもしれません。では故人そのもの、つまり遺体に関してはどうでしょうか?

“大切な家族が病気で最後の時を迎えようとしている”と聞けば、たいていの方は必死の思いで家族に会いに行こうとするでしょう。そして最期の時を迎えると喪失感などたくさんの想いが溢れてきて、涙が止まらなくなります。しかしそんなに大切な家族であっても、その遺体とずっと一緒にいることはできません。遺体は腐敗しますので、われわれの先祖は葬儀を一つの区切りとして遺体を生活の場から切り離すようにしてきました。日本では昔からどんなに身分の高い人の遺体でも“穢れた”ものとして生きている人とは距離を置くようにしてきたのです。

しかしこのように家族をお墓に入れ普段の生活と切り離すことで、わたしたちは同時にその家族についての想い出、記憶にも“墓によって”フタをする結果になってしまいました。墓参りや供養の時にしか時間をかけてゆっくり故人のことを思い出す機会がなくなってしまったのですが、結局このために両親を含めた先祖がわたしたちの生活に入り込む余地がほとんどなくなってしまったのです。

一方で先祖の記憶を遺していこうとする活動があります。原爆や東京大空襲、東北大震災など多くの災害は人のこころに深い傷を遺しました。しかしそれでも災害の記憶は年月とともに風化していきますので、そのような風化に抗うように“語り部”を遺そうという声をよく聞きます。もちろん“語り部”を遺す動機は防災の知識を伝えることだけではありません。もともと人は想いを後世に伝えたいものなのです。

わたしのからだを構成し分裂し続ける一つ一つの細胞は、まさに母親の生きた細胞から分かれてできたものです。その細胞の核にある遺伝子を通してわたしは父親と母親の情報、そして想いを受け継いでいます。その父親と母親には祖父や祖母の情報や想いが同じように伝えられています。実はわたしたちの存在自体が両親だけでなく、先祖すべてが今も生きている証であり、結実体だったのです。

相対性理論など最新の科学によると、例えば時間や空間は重力の影響を受けて変形します。このようにわたしたちの存在を支える基盤が以前から考えられていたように絶対的に固定したものではないことが明らかになりました。つまりいろんな見方をすることができるものだったのですが、過去と現在そして未来も現在生きているわたしの時間に圧縮してみることで、先祖と子孫の想いは実は伝えられてくるだけでなく、同時に重ね合わせて持つことができることがわかります。