喜怒哀楽を始めとした感情は生活のあらゆる場面に登場する心の機能です。
感情はすごいエネルギーを秘めていて、普段の生活では絶対に起こさないような反応、たとえば“激怒”だったり、“号泣”だったり、本人すら驚くような行動をわたしたちにさせてしまいます。
人前でそんな行動をすることを、恥ずかしい、はしたないなどと感じる人が多いために、感情自体を表に表さないようにわたしたちは習慣づけてしまいがちです。そのような生活を重ねた結果、感情に鈍感になった人は、相手の感情だけでなく自分が感じている感情にすら、とても鈍感になってしまっていますが、感情というエネルギーはなくなってしまうわけではないので、こころの奥底に抑圧されてたまってしまい、時にこころが悲鳴を上げてでもいるようにわたしたちのこころを暴走させてしまいます。
嫌なものを見た時の表情を思い浮かべてみてください。
とても臭いにおいをかいだ時の表情に似ていますね。もともと嫌だという感情は、腐ったものを食べてしまわないように、からだを防御するために備わった動物的な本能と考えられます。怒りは狩りの場面で強い力を出すための本能、恐怖は危険な動物から逃げるための本能、このように考えるととても理解しやすくなります。
動物としての本能から生じたこころの機能であるために、これらに善悪はありません。自然なものなのです。しかし現代は狩猟採集の時代ではありませんから、これらの感情を別な形で役立てるようにしなければなりません。感情にはとてつもないパワーがあるのですから、感情をうまく使用すれば感動的でパワフルな人生を送れるかもしれないのです。
理性は本能をつかさどる古い脳の周囲に、新しく後で付け加えられた脳で作られます。だから、脳の中での優先順位も、反応スピードも感情には劣ります。ですから理性で感情を作り変えることなどできません。
でも、感情の使い方は理性で制御できます。
感情を悪いものとして押し殺すのではなく、自然なものとして受け入れ制御する方法を学べばよいのです。