旅行をすると、駅やお土産屋さん、観光地でたくさんの人とすれ違いますが、知っている人と出会う確率はゼロに近いでしょう。旅行中は見ず知らずの他人の海の中に放り込まれ、知らない他人とばかり出会い、しばらく生活することになりますが、不思議と心配になることはありません。
見知らぬ土地で生活している方々を見ていると不思議な気持ちになります。まったく知らない人であっても、まるで知り合いのように会話をしますが、どんなによくしていただいても、私の中でその人はもう二度と会えないだろう方であり、きっと記憶には残らない方なのだろうと、会話の後に一抹のさみしさを感じます。ただ近くを通り過ぎただけの人に至ってはなおさらです。
そんな感覚を持つ度に、“なぜ私の中に、家族や知り合いと知らない人の区別があるのだろう?”と考えてしまいます。
医者をしてると、医術は万国で通じることが前提になっていることを実感します。傷の治り方、インフルエンザの症状、お産や便秘、人間のからだに起こるすべてのできごとは万国共通で、基本的に同じ対処法で大丈夫です。もちろん人種による差異は、ある程度ありますが、基本的にどんな人種や国籍であろうと、病気に対するアプローチは一緒です。人間というものは見た目がずいぶん違っていたとしても、からだの構造は共通なのです。ですから、脳や心も同じ構造であるはずですし、きっと悲しさや嬉しさといった感情も同じなんだろうと思います。そう考えれば、目の前を歩いている赤の他人もきっとからだの感覚や、思いをもし私と共有することができれば、きっと同じものを感じるだろうと思うのです。
きっと赤の他人も私や家族も知り合いも、同じ感覚を持つ同じ人間です。だから、感覚が研ぎ澄まされていけば、感覚や想いを共有することもいずれはできるのだろうと思います。そのような意味では世界中のすべての人間に親近感を感じますし、出会ってみたいとも思います。しかし物理的には不可能ですから、このように考えることにしました。
家族や知り合いは世の中に大勢いる、出会うことのないたくさんの人間を代表してわたしの周りにいてくれるんだと・・・。