人には防衛本能があります。
できるだけ生活が脅かされないように、ちゃんと食べていけるように・・・。何かに追われるように頑張ります。生活の糧を得るための仕事を毎日頑張る。あとで困らないように、何かあった時の為の保険になるように、せっせと使わないものをため込む。
こうして自分、そして目の前に見える家族を守るために頑張って生き続けること。これが人生・・・と思いこんでいました。
しかし、人の人生を、肉体が生まれてから肉体が死んでなくなるまでの100年弱のものと思っていた時期は、人の人生は苦海を漂う木片のようなもの、理不尽な目に遭わないことをただただ願いながら、無事に100年弱を乗り切る事だけを考えていました。
災害や事故に遭って、せっかく生きてきた計算が狂ってしまった人を傍目にみながら、運の悪い人に同情はするけれど、自分がそんな目にあわないことを、そんななんの保証もない希望にすがりながら必死に生きてきました。
運よく、才能や運に恵まれ、人がうらやむような人生の波に乗れる人もいます。権力の仕組みや、収入確保の仕組みを作り上げ、何も考えずに100年弱を生き抜ける算段がついたと安心している人もいます。しかし、それらの人生はたくさんの犠牲の上に成り立っていますから、崩れていくのは当たり前、波に翻弄される身でありながら、苦海の中に確かな城をたてる手段などありません。しかしそんな空しいテクニックや手段を手に入れることに人生の大半を費やす人が多いのが現実です。
はたしてそれが人生? 食べるために稼ぎ続けること、これが人生?
こころの奥底で、「人生の目的はそんなことではありえない」と、そう叫び続ける声が聴こえます。
勤勉にまじめに生きていけばなんとかなると思っていました。しかし、その思い込みは思考をやめてしまった自己満足な考えにすぎませんでした。
苦海の波に翻弄されない人生とは、海底にしっかりと足をついて立って生きるためには、毎日の生活に翻弄されてあっちに行ったりこっちに行ったりせず、しっかりと目的を見据える必要があります。
人は死なないのです。スズメが100年前もスズメであり、現在もスズメであるように、私たちは死んでは生まれる新陳代謝を繰り返しながら数百万年を生きてきたヒトなのです。そのような視点で眺めるなら、今現在お金をいくら持っているということは重要な問題でしょうか?そんなことより、何万年かけて求めてきた目的を見つけることが何より重要なのです。