街を散歩していると、思いがけないところに人の行列ができているのを見つけるようになりました。それも一か所だけでなく、すぐ近くに何か所も行列ができていることがあります。若いアベックや女性が多いような気がしますが、行列の先に何があるのかとのぞいてみると、普通のラーメン屋さんだったりパン屋さんだったりします。
わたしが若い頃、博多の人は行列を作りたがらないことで有名でした。気が短くて性格があっさりしているので、行列を作るくらいだったらその時間に別の店を探そうと考えてしまうのです。ですので、最近の街の光景に少し違和感を感じていました。
行列を見つけるたびに、そんなにおいしいお店がこんなところにあったのかと、初めのうちは驚いていましたが、これだけたくさん見かけるようになるとそうとも言い切れません。
そこでこの事象について考えてみました。
あるところで、隣のお客さんと話していると面白い話を聞きました。
屋久島は世界遺産にも登録されるほどの自然の宝庫ですが、人が集まりすぎて観光地化してしまっている、自然が壊れていくのではと心配になるとのこと、たくさんの人に根が踏まれると樹木は傷んでしまいます。
その方と話しているうちに、これらの現象の裏側にはSNSがからんでいるなと感じました。非認知能力である「感動する力」が低い人は簡単に感動出来ない、「おいしい!」とか「美しい!」と感じることができないのではないかと推理してみました。そのような方がSNSでインフルエンサーの感動した風景や食べ物の記事を読み、その記事の内容を追体験しようとしているのでは?と考えたのです。
そのように考えると、簡単にできる行列や絶景地への人の集中といった現象が説明できます。
人は感動したいといつも思っています。そのために大金を支払ってもいるわけです。
感動した人とわたしの感性は違うのですから、感動を他人から買うことはできません。感動したければ、わたしが感動する力を養うしかないのでは?と思います。
昔からグルメ本や旅行解説本があって、それらを参考にすることはよくありました。評論家の仕事も同じようなものだと思います。しかしSNSを人々が使うようになり、情報が溢れ、情報の利用法があまりにも便利になってしまいました。こうなると人は他人の情報を利用することに慣れてしまい、自分の能力を使ってとってきた情報を使わない習慣がついてしまいます。つまり、自分の能力を使う機会が減少し、使わなくなった能力が低下してしまうのです。
道端に咲いている花や、子連れの親子の情愛に満ちた姿、簡単なおやつにも感動できる要素は詰まっています。ぜひ身近なところに感動を見つける訓練を始めてみましょう。