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ランチプレートのサラダを食べた時にふと感じたことを書いてみます。

その日は、サラダにミニトマトが添えてあることに気づかずにいろいろと考え事をしながら、食事をしていました。いつものようにお皿の上に食べ物が残らないように、お皿の上から一口ずつ箸でつまんで口に入れ、食事を終えようとしていた時のことです。最後にほおばったミニトマトを噛んだ時に、中から甘いミニトマトの果肉と果汁が口の中にはじけて広がりました。その果肉はあまりにもみずみずしくその食感に触発されるように、目の前にミニトマトの透明感のあるゼリーのような果肉のイメージが浮かんでくるようでした。

その時にこう思ったのです。

このイメージは細胞の塊のイメージだ。そうだ。トマトは植物だが、植物も多細胞生物であることに変わりはない。お肉が動物細胞の塊であれば、植物は植物細胞の塊だ。そういう目で見れば、今日のランチプレートに乗っていた豚のソテーもセロリのサラダもジャガイモのフライも白いご飯もみんな細胞の塊だ。わたしたちは食事の度に細胞の塊を、煮たり焼いたり揚げたりして味付けをした上で食べているんだな、そう思ったのです。

私たち自身も多細胞生物である以上細胞の塊なのですから、この世界は多細胞生物が他の多細胞生物の細胞の塊を食べて、中に取り込みながら生きているんだなとしみじみ感じたのでした。そのようにしながら、生命が生命を取り込み連結されていく、そういうつながりをもった生命全体の流れやありようを感じた時に、そのような生命の連鎖が生命全体の姿であるのなら、食べるという行為に善悪があるはずがない。逆に食べるという行為を積極的に前向きにとらえなければならないのではないかとそう感じたのでした。