現代の生活において、こころの葛藤や矛盾、苦しさの原因は何かと考えた時に、それらの根底に「孤独」や「競争」の苦しさがあることに気づきます。
人々が「もの」や「愛情」を奪い合い続けるのは、自我を主張し、自分と他人を区別し、比較しながら生活していることが原因です。ですからSNSを通して他人の豪華な生活を垣間見てうらやましくなるのです。
世界大戦は前世紀で終わり平和な世の中が来たはずでしたが、結局気づかないうちに個人間の戦争が延々と続けられていたのでした。
自我の主張は行き過ぎると個人主義に至ります。個人主義というのは言いかえれば「時間的空間的に自分と自分以外の境界を狭めていく考え方」だと言い換えることができます。例えば、少し前の世代では日本でも三世代同居は当たり前でした。わたしたちは他人と生活空間や感覚を共有しながら生活していたのですが、いつのまにか個人主義の風潮が拡がり、自分の家やその中にある部屋の壁を使ってしだいに自分の存在する空間を狭めていったのです。
時間的にもそうです。両親や祖父母、親戚との関係が薄れ、先祖や子孫にも関心を失い、結局わたし自身を孤立させてしまいました。
いったん立ち止まって、よく考えてみましょう。わたしたちは自分のからだと外界の境界ははっきりしていると考えがちです。しかし人間のからだの構造を見ると、からだの中には腸内細菌をはじめ何兆もの他者である微生物が生活していて、お互いになくてはならない関係を結んで共生しています。一方からだの一部だと信じて疑わない皮膚や髪の毛や爪の成分はすでに細胞としては活動をやめていて一種の物質と化しています。つまり、自分のからだとそれ以外の境界というものはもともと“あいまい”なものなのです。言いかえれば、自分というものは思っているほど周囲の環境と切り離されていないということなのです。ですから、今まで以上に個人主義の考え方を究めようとして個人という境界を狭め他者を排除しようとすれば、結局からだまでバラバラにするしかなくなるので、自分自身まで必要なくなるというおかしな話になってしまいます。
このように考えを進めたわたしは、個人主義の発想自体から抜け出さなければわたしたちは未来を探すことができないという結論に至りました。
ここでわたしは、個人主義の発想から抜け出すために、逆転の発想を提案してみたいと思います。
今までわたしたちが、わたしたちの周りに造ってきた“壁”つまり境界をどんどん拡げてみるという発想と活動です。
空間的な境界を拡げるため、隣で生活している人を“他人”ましてや“競争相手”や“征服対象”ではなく、“友達”や“家族”にするのです。自分のこころをコントロールする術を学び、他者を認めてオープンハートコミュニケーションをしていくのです。これが本当の意味での他者の尊重であり、多様性重視の姿勢です。
そして、もう一つ時間的な境界を撤廃する方法を提案いたします。
歴史というものを考えてみた時に、考古学的な証拠が一切なくても確実に言えることがあります。
「百年前、千年前、一万年前にわたしの先祖が生きて活動していた」ということです。わたしという存在が生きている以上、これ以上の証拠はありません。稲作が大陸から伝わった時も、大化の改新で政治環境が激変した時も、武士の世の中にあっても、わたしの先祖は生きて活動していました。
さて、その時わたしはどこにいましたか?わたしは生きていた先祖のこころとからだの中に“種”として存在し、一緒に生きていました。わたしは先祖と「一心同体」の存在だったのです。この関係は永遠不変です。現代においては、わたしが物質世界に生きていますが、今まで通り先祖とわたしは一心同体です。そして未来においてはわたしの中に“種”として存在する子孫が同じようにわたしと一心同体の存在として生きていくのです。
では境界を広げるには具体的にどうしたらいいのでしょうか?
わたしと他者が認め合い一体となるにはどうしたらいいかということですが、それは「違いを指摘する」のではなく、「互いの良い点を見つける」ことで可能になります。夫婦の間で相手の問題点を指摘し合っていて、円満が望めるでしょうか?逆に違う点があるならば、違う点の中に良い部分をさがし、その良さの意味を一緒にさらに深くさがしていくことで一致点を見つけることができるようになります。空間的にも時間的にもそのような方法をさがしていかなければなりません。
たとえば、時間的な溝を埋めるにはどうすべきでしょうか?その答えは「伝統」の中にあります。歌や踊り、その他食事の作法や入浴方法、出産方法など生活習慣の細かい部分にまで先祖が今まで苦労して身につけてきた「伝統」があります。しかし世界中を見渡すと今までの歴史や環境が違うために、異なる「伝統」がぶつかることもあるでしょう。そんな時こそ、自分の持つ伝統に縛られてお互いの「伝統」に優劣をつけようとせず、それらの間に共通する良い部分を探して、認め合い、さらによいものを作り上げていけばいいのです。
これからの世の中にはこのような視点を持つ活動が必要です。