お墓はなぜあるのでしょうか?
日本の場合は火葬が一般的ですので、死者のお骨を納める場所という意味合いが強いかと思います。納骨堂を別に造られた場合は、墓石だけということになるのでしょう。
キリスト教圏やイスラム教圏では土葬が主流なので、遺体を埋めた場所の目印という意味合いがあるのかもしれません。
いずれにしても、人は過去に生きていた人、この物質世界での生活を終え旅立たれた人に会うためにお墓を訪ねます。“会う”という単語を使用しましたが、会うことができるためには会いに行った時にいつもそこに故人がいてくれなければ困ります。ですので、わたしたちは勝手に故人は“必ずお墓の場所にいる”ということにしています。
考えてみれば身勝手な話ですね。
そんななにげない習俗に何かひっかかるものを感じる人が多かったのでしょうか?「わたしのお墓の前で泣かないでください」というアメリカインディアンに伝わる詩の一節を使って作られた「千の風になって」という歌が一時大流行しました。
わたしは飽きっぽい性格なので、ずっと同じ場所に居続けるなんてことはできません。きっとお墓の場所にずっといることなんてできないでしょう。わたしのお墓はなくてもいいなと思います。
お骨も持ち帰らないと事前に申請しておけば、持ち帰らなくていいそうですから、持ち帰らなくて大丈夫だと娘に話しておきたいと思います。
ただ、何も遺品がないとわたしのことを思い出そうとしたときに、かえってさみしく感じるかもしれません。ペンダントなど何かわたしと因縁のあるものを、生活の邪魔にならないようなものを何か残してあげたいなとは思います。