最近韓流ドラマを観ていて、なんとなく思ったことがあります。
王宮内の王族の室内が映し出されるシーンがあるのですが、その室内の装飾は当時の韓国の中での最高の贅をつくしたものなのだろうなと思う反面、今の私たちにこの部屋を含めた宮殿ごとあげると言われてもそれほど嬉しくはないだろうなとも思います。
それらが当時の時代における技術の粋を尽くした装飾であったとしても、現代の生活においてはもっと贅沢なものがいっぱいあるからです。
でもドラマの主人公たちはこの最高の贅沢をせんがために、人を陥れたり、殺人を犯したりなどして争い合うわけです。
時代が下った私達が客観的に見れば、そんなに必死にならなくてもと思うようなことに人生のすべてをかけ、血の涙を流したりしています。
どの時代においても最高の贅沢はあったと思いますが、現代の私達から見ればそれほどでもないものばかりです。そのことはイコール、私達に思いつく限りの最高の贅沢も、後代の子孫から見れば大したことはないということになります。
物やお金というものは、究極の目標にはなりえないなとしみじみ感じるのです。