今朝もバスで通勤しました。
早朝の街路をバスでゆっくり移動する時の景色はとてもきれいなものです。
特に両側にたくさんの街路樹が茂っている通りは、朝日がかすかに差し込み、静かな美しさを感じます。
歩道や街路脇を埋め尽くすたくさんの植物を見ながら、わたしは感慨にふけります。
人工物の幾何学模様や左右対称なデザインは洗練されてはいますが、この植物による美しさには到底かないません。もしこの街路から植物がすべて撤去されてしまったら、無機質な空間が広がるだけのつまらない風景になってしまいます。
葉っぱなど、植物の細かな形状は対称的なデザインで意外に幾何学的な構造をしていますが、葉っぱごとに大きさや形が違い、葉の付き方もランダムでたくさん集まると無秩序で雑多に見えます。またそれぞれの部位が成長と老化を同時進行で行っていて、時間の経過でその姿を少しずつ変化させていきます。今日の姿と明日の姿は同じではないのです。
なので、植物全体をみると固定した普遍安定性は持ちませんが、時間的な変化や多様性をそのまま受け入れて全体をぼんやり見てみればそれはそれで、統一された普遍性のある存在で、永遠性も持っているのです。
例えば、私達はなんとなく楽譜は2次元で書かれるものだと思い込んでいますが、オーケストラなど多くの楽器が同時進行で演奏される場合、2次元の楽譜を並べてみるよりも、3次元(3D)で楽譜を書いた方が、いろんな楽器の調和が見えていいのではないかと感じることがあります。このように次元を変化させるという視点は新しい発想を呼び起こします。
生命というのは3次元で見ればバラバラで規則性のない不安定な存在に見えてしまいますが、もっと多次元の視点で見れば、人工物をはるかにしのぐ造形物なのかもしれないと感じます。