
現代の社会はいまだに19世紀に生まれた「科学万能主義」思想を基礎とした社会ですので、例えばダーウィンの進化論から派生した「人間の社会は弱肉強食の社会である」といった考えを無意識に持ってしまいますし、人間の身体についても機械のように部品を組み立てて作り上げたもののように見てしまいます。しかし、今世紀に入り量子力学や相対性理論が発見され、また最近そのような理論が実生活に使用されるようになり、新しい生命観や宇宙観が現れてくるようになりました。
万博でテーマ事業プロデューサーを務められた生物学者の福岡伸一さんは今年の内科医会の特別講演で「生命は機械ではない、生命は流れだ」という言葉を紹介しています。
この言葉について少し説明いたします。
生命体はなぜ食事をするのか、私たちは今までなんとなく生命体を単なる機械のようなものと認識してきましたので、車にガソリンを入れるような感覚で食事をしてきました。しかし、実際はそのようにはなっていませんでした。ガソリンは燃焼され、熱に変換されて終わりですが、食事は原子の状態にまでバラバラにされ、あっというまに身体じゅうのいろんな部位の材料の原子と置き換えられていたことがわかったのです。ガソリンが次の日にハンドルや運転席の部品に置き換えられてしまうようなものです。生命体は食事をしながらからだじゅうの部品を入れ替えていく特殊な存在だったのです。なので、生命体は固定した部品を組み合わせた存在ではなく、つねに構成要素が入れ替わっていく川の流れのようなものだとわかったのです。
“流れている”ということをもう少し深堀りしてみます。
流れるものに対して、もし貯め込んでストックしていく存在がいるとすれば、それはどんどん外から材料や栄養素を取り込み続け、肥大化を続けていくので、いずれは破綻するでしょう。ダムのように川の流れをせき止めれば、いずれは堤防が決壊することになります。がん細胞のようなものがそれにあたります。それに対して、せき止められていない、流れているものは、外から材料や栄養素を取り込み続けるのは同じですが、同じようなスピードでどんどん自分の中のものを捨て続けます。なので決壊せずに永存することができます。
さてこの“捨てる”という言葉を“与える”に書き換えてみましょう。
生命体という存在は、常に“与え続ける”存在であることがわかります。呼吸で吐き出す二酸化炭素も、細胞が壊れてできた排泄物である各種の有機物もすべて他の生命体が利用できるようなものとして最初から設計されています。
このような事実からわかることは、生命体というのは“利他的”な存在であるということなのです。
そのような目で生命体の世界を眺めてみると、いろんな生命体は懸命に生きていると同時に子孫や他の生物に自らを与え続けて存在している姿を見ることができます。
“与え続ける”や“利他的”という言葉を一言で表現するなら、それは“愛”になると思います。この生命体に満ちた世界は、“愛”に満ちた世界でもあったのです。