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境界

2022.07.25

category_[心理学]

すべての細胞には構造上の共通点がある。それはまわりを細胞膜が囲んでいるということだ。国が独立して存在するために国境があるように細胞にも、それ自身(内部)とそれ以外のもの(外部)を仕切る境界が必要なのだ。

(新しい高校生物の教科書 講談社)

このようにわたしたちの世界に存在する生命体はその根本単位である細胞自身がそうであるように、内部構造を持っていて、「境界」によって外界から分けられて存在しています。わたしたちのからだはもし「境界」である皮膚が大きく破損してしまえば、内部から大量の血液や体液が外界に流れ出して恒常性を維持できなくなります。いわゆる失血死ですね。

からだの内部は食塩水のような水分で満たされていますから、例えていえば海水をつめた風船のようなものです。そんな存在が空気で囲まれた陸上で普通の生活をしているのですから、不思議なものですよね・・・。

わたしたち自身がそんな構造を持っているからでしょうか、わたしたちは何かと境界を作りたがります。それは、境界を安易に壊してしまったらからだがこわれてしまうという恐怖心の裏返し、つまりある意味防衛本能のようなものなのかもしれません。

ですから無意識的に「自分」と「自分以外」という感覚をもちやすいですね。

日本人はここに不思議な感覚を持ち込んでいます。

この「あわい」という言葉は境界を意味しながら、しかし分けるということにその主眼を置いていません。むしろ「あう(会う・合う」、すなわち相手やそこにいる人たちと境界を共有することを前提とした言葉です。

東洋人にとっての「境界」とは、点や線ではなく、なんかそこら辺一帯をいうのです。点や線というものは物理的には空間や質量を持ちません。しかし、そこら辺一帯である界隈としての境界は空間も質量も持っている、れっきとした場所なのです。

(日本人の身体 安田登)

肉体にはきちっと境界があってわたしと外界がはっきり区別されていますが、こころにはそこまできちっとした境界が必要ないかもしれません。

このあたりの感覚が、量子力学でいう「重ね合わせ」の感覚に近い気がします。