過去現在未来を同時に生きることはできないかと考えました。
身近な問題にして考え始めてみます。今日と明日は何で区別されているかを考えてみます。
地球は自転して明るくなったり暗くなったりしますが、私にとって今日と明日は決定的に違うものです。それが何で区切られているかと考えてみました。答えは睡眠です。
寝ている間に、脳の中では一日にあったことの整理や明日への準備が行われていますので、私は今日を眠ることで終わらせ、目が覚めたら始まっている明日に慌てて対応しています。
無意識にこのような日々を繰り返していますので、次から次へと新しい明日が来て追われるように時間が過ぎていきます。10年、20年がそのように過ぎてしまって、わたしもそれらを振り返る年齢になってしまいました。
少し俯瞰してみてみましょう。今は、今日と明日の境目をものすごく近くで見ていますので、だいぶ目を離して昨日・今日・明日の縞模様を見てみます。10年も20年も30年も前からつながっているこの縞模様、昨日と今日、今日と明日の間に睡眠という名の黒い線が入っている棒状の“わたしの人生”を遠くから眺めてみながら、黒い睡眠の区切りを無視してみます。
この棒状の人生はすべて“わたし”です。
わたしのこころを中心として見れば、昨日・今日・明日の区切りに大きな意味はなく、一本のわたしの人生を生きる中の今現在だということがわかります。
そう考えると、本来は昨日の自分を悔いることはなく、明日の自分を心配する必要はありません。どれも同時にわたしなのですから。
このように考えることで、明日の予定を心配することはなくなりました。また同時に現在の自分に全力投球しようとさえ思うことができました。
昨日の自分を悔いのないものにするために、今日と同じようにくる明日を充実したものにするために変わりなく全力で望む必要があることに気づきました。
問題を先送りしない、そして後悔しない生き方は常に全力で生きることだと気づかされました。
そうすれば未来だけでなく、過去すらも変えることができます。
すべて“わたし”なのですから。