今日はR.タゴールの詩を引用します。
わたしの名で閉じこめられたあのかたは、土牢のなかで泣いている。わたしはいつも土牢の周りに壁をめぐらすのに忙しい。そして、日に日に 壁が空高くのびていくと、わたしは その暗い陰のなかで 自分の真の存在を見失う。
わたしは この大きな壁を誇りに思い、その名においてどんな小さな隙間も残さぬよう塵と砂で壁を塗りこめる。そして、そのことにばかり心を奪われて、わたしは 自分の真の存在を見失う。
逢う瀬をたのしみに わたしは一人で道を急いでいた。なのに、この暗い夜の静寂にわたしの後をつけて来るのは 誰だろう?
わたしは彼を避けようと 傍らに身を寄せるが、逃れられない。
彼は土ぼこりをあげながら いばって歩き、わたしの語る一言一言に 大声で口出しする。
彼こそは わたし自身の小我です、主よ、彼は恥というものを知りませぬ。けれどもわたしは 彼と連れ立って あなたの戸口を訪れるのは恥ずかしい。
(ギタンジャリ R・タゴール 森本達雄 訳註)
仕事を一生懸命するのはとてもいいことなのですが、いつのまにか目的を見失い富と名声ばかりを求めるようになってしまいがちです。
目的を持とうとした時に、小我つまり私を目的にしてしまえば、いつのまにか目はくもり、道に迷い、真の自分を壁の中に閉じ込めてしまうのです。
タゴールは自分の良心をしっかりみつめて生きた人でした。