今朝牧野富太郎(植物学者 1862ー1957)の記事を読んでいて感じたことがあります。
彼は植物博士としてとても有名ですが、日本中で多くの新種植物を発見し、「ミヤマキリシマ」などの命名を行ったことで知られます。記事の中では牧野が植物を愛するあまり、フィールドワークに出かける時は必ず蝶ネクタイをつけて、正装で出かけたという記述がありました。
牧野博士の心情を想像してみた時に、博士には植物が何かサラダの中に入っている野菜のような庭に生えている草のような無機質なものには見えていなかったように思います。植物細胞も動物細胞も変わりのない生命なので、彼には植物一つ一つがそれぞれ人間のこどものように生き生きとして感じられていたのではないかと思いました。
そのように自分と同じような生命体と思いながら周囲の草花や木をみると、それらが何か語りかけてくるような不思議な感覚を味わえます。