初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神は言われた。
「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。
なかなか聖書を開いて、読まれることはないと思います。
なので、聖書の冒頭の部分をそのまま引用してみました。
私は不思議とこの部分が好きで思い返すたびに読んでいるのですが、この大空の下と上の水という表現がよく理解できず、何を指しているのだろうといつも思っていました。
きっと、この水平線をイメージした表現なんだろうと思います。きれいにまっすぐ引かれた水平線の上に真っ青な大空が拡がり、水平線の下にも真っ青な大海原が拡がる、きっとそんな風景をイメージして、上の水と下の水という表現がなされたのではないでしょうか。そうすると上の水は雨雲のことかもしれません・・・。
大空と大海原はまったく違うものですが、まっすぐな水平線を境にして隙間なくぴったりと一致しています。そして天地が矛盾なく一つになっている姿を私たちに見せてくれています。
その姿は天地に象徴される小宇宙、つまり私たちの目に見えない「心」と目に見える「身体」が一体になった姿を見せてくれているようです。