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予定論を生きる

2023.08.28

category_[所感]

まだまだ暑いとはいえ、少しずつ秋の気配を感じることが多くなってきました。

今朝通勤のバスの中で考えてみたことをまとめてみたいと思います。

ドラマや映画、舞台もそうですが、俳優さんは自分でない誰かを演じます。時代設定も人間関係も架空であろうと実際にあった出来事であろうと、与えられた設定に従い、与えられたセリフや仕草を行います。

舞台の道具や服装、登場人物や時代背景、セリフやセリフ間の間の取り方まで、細かく設定するのは監督や演出家です。そのようにして彼らが舞台を通して何を表現し、何を伝えるかを決めるのです。

もし仮に監督や演出家の言うことを無視して俳優たちが自分の思うように動き回り、服を着こなし、必要のない演技を行ったとしたら、どのような結果になるでしょう?それぞれが自分の思った通りに演じた結果、舞台自体の統一感も一体感も何もなくなり、舞台自体が目的をなくして時間だけが経過することになるでしょう。観客はつまらない時間を過ごすだけになってしまいます。

さて、演出やセリフが決まっているからと言って、俳優さんが自分の個性を発揮できないわけではありません。素晴らしい演技はしっかり評価されるものです。俳優さんの内面や努力、人生の背景までがすべてたった一つの演義からでも滲みだすものなのです。そんな俳優さんが、他の俳優さんと演技を重ね合わせ、舞台全体の為に自分の存在全体を投入しきることで、協働して一つの舞台という時間空間を生み出すことができます。

予定論、運命論というと自分の人生の結果はすべて決まっていることなので、何をしても無駄だと考えたり、何かお仕着せの人生を強制的に歩まされているようなイメージを持ってしまいやすいものです。

しかし、一度自分が今この人生を演じている役者だと考えてみてください。舞台設定や、今後のストーリー展開は時代全体の流れの中で決まっていき、自分の思うようなものにならないかもしれません。自分が期待する結果や展開が待っているとは限りません。だからといって自分の好み通りの選択ばかりをすることが、自分らしく生きる事ではないのです。

それよりも、自分の中から聞こえてくる演出家や監督の声を聴いてみてほしいと思います。私達一人一人は一緒に舞台を作り上げている共演者です。それぞれに重要な役目が与えられています。舞台全体に意味を与え、輝かせるための声を聴き、それに従い全身全霊をかけて演じるという生き方もあるのではないかと思うのです。