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会っていても会っていない

2023.08.30

category_[出会い]

「ひきこもり」に関する本を読んでいた朝に、新聞のコラムに目が留まりました。

淋しいこころの持主が、いま一人の淋しいこころの持主と出会うなら、その二人は、もはや淋しい一人ではないのである

朝日新聞 天声人語 令和5年8月28日

高史明さんという詩人の言葉をみていて、何か感じるものがありました。

美しいイメージの言葉ではあるのです。映画にすればとてもいいものになると思います。

しかし、「ひきこもり」という問題について考えていたせいでしょう。

私が感じたのは、一人と一人が物理的に出会うだけで二人になるだろうか・・・?ということでした。出会うという言葉は、こころが出会うということも含んでいます。つまりお互いが相手を受け入れるという前提が必要なのです。物理的に近くにいるだけではだめだと思うのです。

だから人間同士というのは、いくら物理的に近くにいても、こころの交流をしない、表面的な付き合いだけをしていては、記憶にすら残らないのだと思います。

そんなことを考えた一日でした。