小学校に上がる前、わたしは徳之島という南の離島に住んでいました。
その島は太平洋と東シナ海に挟まれるような位置にあり、海は生活空間のすぐ近くにありました。そんな環境でしたから、夕方に海辺の砂浜を歩くこともありました。
砂浜を歩き、たまに海に入って波を蹴ったりしながら、こんなことを考えたことがあります。
今自分が蹴って作った波が、ずっとずっと海を伝わっていろんな国の海岸に届くのかな?
波はなくならないから、絶対届くだろう。アメリカにも南極にもアラスカにもきっと届くだろう。
だから、きっと向こうの国の人たちが作った波たちもここにこうして届いてるんだ。
大きな海を越えて・・・
最近ふと昔のことを思い出しました。
毎日毎日あくせく働いて、そのたびに働いた成果としてお金をもらうような生活、ギブとテイクの間隔がとても短い生活をしていると、なんだか次から次に仕事を考え、しなければならないせわしない感覚に心が支配されてしまいます。
今やっている仕事が、お金になろうがなるまいが、世の中のためになることならば地道に、でも着実に続けていこう!そうすればきっと、波打ち際で作った小さな波のように必ず誰かのところにその誠意は届くだろう。
幼児期のわたしが、あまりにも大きな海を前にして、小さな足で作った小さな波でも絶対に海の向こうに届くと信じることができた、そのことがなんだか誇らしく感じられました。
もっと長いスパンでものごとを見つめてもいいのではないか・・・、そう思えました。