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どくだみ

2022.05.21

category_[価値について]

昨夜帰宅すると、玄関にたくさんのドクダミが積まれていました。

先日まで家内の友人家族が遊びにきていて、泊めてくれたお礼にと庭のドクダミをたくさん干しておいてくれたのです。ドクダミ茶にするんですね。雑草と思っていたものが、役に立つことを知って内心感動しました。今までのわたしにとってなんの価値もなかったもの、逆に草むしりの作業が必要な負の財産であったものが急に価値を持つようになったのです。

さて経済学では需要と供給のバランスで価格が決定することになっています。購入者にとっての価値が高いものほど、皆が欲しがるため値段が吊り上がるというわけです。

この友人と食事に行った時のことです。友人の娘さんがジュースを飲んだ時に「おいしい!」といってなんともいえないいい表情をしました。それをみて、わたしは人の喜び、つまりその人にとってのものの価値というものは値段(価格)とは違うものだなとしみじみ思いました。たとえわたしがその時に同じジュースを飲んでも同じ喜びは得られないはずです。食べ物の好き嫌いもあるでしょうし、これまでの生活習慣の違いも影響するでしょう、体調やお昼に食べたものも影響するかもしれません。支払う金額は同じなのに、得られる価値がまったく違います。つまり、価格というものはあくまでも何かを購入する前に、購入するかどうかを判断するための目安であって、価値とイコールではないということです。

わたしの友人にものすごく時計にくわしい時計マニアの方がいます。いつも何千万円の高級時計をしていて、少しでも時計の価値がわかる人に会うと、すぐにその時計の説明を始めて自慢します。そのような時計をたくさん持っているのです。この方がときおりいたずらをします。100円ショップで買った腕時計をしていることがあるのです。ぱっと見ではわからないような質感の時計があるんですね。その方が自慢しだすと、みなさん感心して聞くばかりでほとんど気づきません。誰もがその方がしている時計は何千万円だと思い込んでいるので、100円の時計も高級時計のように感じているのです。おもしろいなと思いました。結局何千万円の時計を見る感動が、たった100円で得られるのですから。

わたしたちは毎日の生活を通して喜びを得たいと思っています。喜びとは5感を通してものの価値を感じることでもあります。美しい花を見たり、絵画を見たり、音楽や演劇を鑑賞することもそうでしょう。そこで得られる感動がわたしたちの生活の目的になっているわけです。そのような喜びを期待して、楽しみにすることでわくわくして生活することができます。しかしその生活の中には錯覚が潜んでいることにお気づきでしょうか?

コロナウイルスの流行前ですが、100万円の旅行パックが飛ぶように売れて、なかなか買えないという話がありました。たった数日間の列車の旅なのですが、100万円ではとても原価にみあいません。しかも行先や行動予定はすでに決まっていて自由に選べません。しかし、売り出した企業の信用力を背景にして、100万円もする高額な旅行だからこそ満足できるというのです。ブランド品を買うのと同じ理由ですね。また、旅行の日程を考えたり、いろいろな調整を自分でしなくてすむので、その手間や時間を買っているという考え方もできるでしょう。

しかし、よくよく考えてみてください。結局価格をみて満足しているのです。価格が商品の価値を保証しているとこころのどこかで錯覚していませんか?

最近は街を歩くといろんな店に行列ができています。少し前には福岡ではあまりみかけない光景でした。福岡の人は気が短いので、行列を作らないとよく言われていたものです。しかし最近は若い方を中心に辛抱強く行列に並んでいる姿をよくみかけます。これはSNSの影響だなと思います。誰かがSNS上で「いいね」と推薦すると、みんなとりあえず行ってみたくなるのです。そして、同じ店に一気に人が集まります。

わたしはとてももったいないなと思います。喜びは自分が何かの価値を見出して感動した時に得られます。価格や誰かの評価が保証してくれるものではないのです。それよりも、自分の中にある「感動する能力」の方が重要だと思いませんか?100円のものに対して、何千万円の感動ができればどれだけお得でしょうか?この世界には奇跡のようにすばらしいものがあふれています。道端の生け垣の葉っぱでさえも、うそのような不思議な方法で太陽光や空気からエネルギーを生み出している奇跡のような存在です。

お金を使わないという生活はつまらない生活を意味しません。お金を使わなくても、ささいなものに対してその価値を感じることができれば、とても感動して生活できます。もののない時代はそうして生きてきたではありませんか?空に浮かぶ満月や、ふと聞こえてくる犬の鳴き声にも神秘的なものが隠れています。いかに感動できるかがその方の生活の質をきめるのです。