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足は生命の源

2022.09.12

category_[仏教]

イエス・キリストの逸話の中にイエス自身が弟子たちの足を洗う場面が出てきます。その場面にはたくさんの意味が込められていると思いますが、足が人の生命を象徴するものであるという意味もそこにあったのではとわたしは思います。

人のこころが動いたとき、からだのなかでも足の反応が重要です。もちろん手も動きますが、こころの動きに合わせて体全体を動かすために足が動くのです。うれしくて仕方がない時、ぴょんぴょんと跳ねまわったりします。一番意識されない部位ですが、一番重要です。そのような意味で足は生命力を象徴する部位なのです。イエスは「わたしは生命である」と宣言しましたが、その生命の源のような方が直接弟子の(生命を象徴する)足を洗われたのです。洗うというのは、罪けがれを清め、新たな生命の復活を願っての行為なので、この行為にどれほどの想いが込められていたのかと想像してしまいます。

そう考えると、同じ場面ではありませんが、その当時の人の中で唯一マグダラのマリアだけが高価な香油を使ってイエスの足を洗いました。その時はマリアが無駄使いをしたと弟子に叱責されるのですが・・。このように考えてくるとイエスの周囲に生きている人の中で彼女だけがイエスの心情を理解していたように感じ、胸が痛みます。

仏像もよくみてみると、細かい部分にまで丹念に装飾がされていますが、その足元にまで細かく模様が彫り込まれていることがあります。弥勒仏はのんびり座ってるようでいて、しっかりとその足を踏みしめています。意外にそのような部分に深い意味が込められているのではないでしょうか?

最近医学の分野でも、フットケアということを専門にする方が現れてきました。足というのは外来診療でもあまり見ない部分ですので、医学の分野でも見過ごされてきたような気がします。今までの発想にとらわれず、人間のありようを虚心坦懐にみていくことが必要なのだと感じます。