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死は悲しいことではない

2022.06.25

category_[生と死]

家内のお父さんが一昨日亡くなりました。

最後は緩和ケア病棟で迎えましたが、家内がご本人の好きだったオペラなどの音楽をかけている中で静かに息を引き取られたそうです。

膠原病に腎不全、癌を2種類、間質性肺炎まであって、たくさんの重度の病気を持っておられましたが、余命半年と言われながら強い症状もなく1年以上生きられました。

負担になっていた大病院への通院をやめてもらい、ぎりぎりまで自宅に訪問診療を行いました。最後になってしまった訪問の日も、ベッドの上でスマホを見たりして、普通に会話されました。最後は不安感の少ない病院での最後を望まれましたので、知り合いの院長に頼み、看取りをお願いしました。

家内にとっては初めて経験する肉親の死です。帰宅後に主治医との会話を聞き、そのセリフが出たんなら2日以内だよと教えてあげました。夜中に呼吸が止まることが多いから、夜中に携帯の音が聞こえるようにしておいたらいい。すぐに着替えられる服を近くに準備して、余裕があったらお化粧も簡単にしていったらいい。睡眠導入剤もできたら飲まずに備えた方がいい。亡くなった瞬間から、話し相手が病院から葬儀屋さんに代わるから心の準備をしておいたほうがいい。現金が必要になることがあるから、預金が停止される前に引き出しをしておいたらいい・・・などなど。細かく教えてあげました。ですから家内は混乱せず、心に余裕をもって備えることができたようです。最後の日は朝の5時頃、病院から血圧が下がり始めたという連絡があったので、家内は慌てずに病院に向かいました。義父は返事はできなかったそうですが、家内は音楽をかけたり、ずっと声をかけ続けたりして最後の瞬間まで心を尽くせたと言っていました。

義父はプロテスタントの信者でしたので、通夜は教会式で行われました。讃美歌は義父が生前に希望していたものと家内が選んだものが使われました。教会式の葬儀は讃美歌を歌ったりしながら行われるのですが、悲しくなくていいですね。驚いたことに、最後の献花の時、ふっと義父の写真を見上げると写真の周りがものすごく光って見えました。そしてその光の中心にある義父の遺影が満面の笑みに見えたのです。「ああ、なんにも思い残すことがなかったんですね、よかったですね」と義父の写真に話しかけました。

日本語では死ぬことを、「亡くなる」「逝く」「息を引き取る」「逝去する」などと表現しますが、死ぬことを悲しい出来事だと受け取る方が多いように思います。特に「亡くなる」は発音が「なくなる」つまりいなくなってしまうという意味に通じてしまうので、悲しみの感情を誘います。ですから、葬儀の時は黒い喪服を着て涙を流して火葬までの出棺を見送るのが一般的な光景となっています。でも、本来はそんなに悲しいことではないのではないかとわたしは思うのです。

韓国では死ぬことを「帰る」と表現するそうです。死者は行ってしまっていなくなるのではなくて、もといた場所に帰っていく、だからそのうちわたしにも帰る時がきたらもといた場所でまた会える。だから先に帰って待っててねという思いが込められているんでしょうね。