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権利を主張するということ

2023.07.26

category_[所感]

昔あるサンドイッチのチェーン店に初めて入ってみた時のこと、私の前に並んだご婦人の順番になりました。

そのご婦人は慣れた様子で、店員さんにあれこれと細かく注文を始めました。客の注文に細かく対応するのがこの店のポリシーであるらしく、店員さんは忍耐強くその注文を一つずつ聞き、確認のために聞き直していきます。パンの材質から焼き方、中に挟む具の種類や香辛料を入れるかどうかに至るまで・・・・・。

このご婦人はこだわりの強い性格なのでしょう。かなりの時間をかけて、自分の分と、同伴した小学生くらいの子どもの分まで10個以上ある全ての選択項目に関して、ほぼすべて定番以外の選択をされました。

予想通り、一旦注文が終わって、「あっ、そういえば・・・」と追加の注文をされ、やっと注文が終わった時には、店員さんも含めて、後ろに並んでいたたくさんのお客さんからほっとしたため息がもれるのが聴こえるようでした。

さて、全ての人に平等な権利を認めなければならないという主張をよく聞くようになりましたが、よく考えてみてください。誰かが権利を主張すれば、同時に誰かに我慢を強いる、つまり誰かの権利を犠牲にすることがありえます。

すべての人の存在は重要で、大切です。しかし、その重要性を権利という形で勝ち取ろうとする手法には無理があります。全ての人に同じだけの権利を認めることは物理的に無理なのです。

権利というのは「先に私に与えよ」という話です。この根本の部分に問題があるのです。

人間の内面の問題が解決されない限り、環境問題など多くの問題は解決しないのではないかと思います。