ブログ

Blog

自他融合的自己をつくるには

2023.12.01

category_[仏教]

先日よりご紹介している書籍「ゴータマ・ブッダ その先へ」(羽矢辰夫 春秋社)において、自他分離的自己というものが苦の原因となっているという考え方が紹介されました。

仏教の本を読んでいると、阿頼耶識(アラヤ識)という仏語がよく出てくるのですが、今までわたしはこの単語のことを単なる無意識層の一部くらいに簡単に考えていました。

しかしこの本の中では、「アーラヤを楽しむ人々」という表現を使って、自他分離をしながら自分という意識を形成していく傾向が誰にでもあり、それを当たり前だと考えているので苦を生じさせる根本原因であるにも関わらず、あまりその意識の矛盾性に気づいていないという結論に至っています。

口論(ディベート)での勝利や、お金のかかった身なりや財物を使って、自分と他人を区別、比較し少しでも自分の方が優位に立とうとするマウンティングの性質は誰の中にもあります。このような「アーラヤを楽しむ生活」を続けているうちは自分の考え方や意識が苦の原因となる自己矛盾に気づくことはできないことになります。

さてそのような自己矛盾的な性質を克服する方法として、この本では自他融合的自己の形成を示しています。

しかし頭でその重要性が理解できたところで、簡単に自他融合的な自己意識を持つことができるようになるでしょうか?

実は自他融合的自己に至るための具体的な方法まではこの本には示されていません。瞑想を一つの手法として紹介していますが、お釈迦様自体が瞑想による修行法を捨てた後に悟りに至っていることや、その後最初の弟子として瞑想のかつての修業仲間に悟りの内容を教えていることを考えれば、瞑想だけで自他融合的自己意識に至れるとは到底思えません。

ではどうすればいいのでしょうか?

私は「自分」という強烈な自己意識をコントロールする為には、「自分」を捨てるしかないと思います。

言葉では簡単です。しかし、自分の手柄を人間は誇りたいものです。褒めてもらいたい、自分がしてやった、自分のおかげだ、自分、自分・・・、そのように思ってしまうのが人間の悲しい性です。

「自分」の思いをコントロールし、もっと大きな存在に「自分」の意思をゆだねることは想像以上に難しいことなのです。だからこそそれができるほどの心を持てさえすれば、自分と自分以外の世界を融合して感じることができるのだと思います。

その心持ちは“従順”ともいえるでしょうし、もっと奥深くにある強烈な強い自己意識をコントロールできる心持ちは“服従”という強い言葉で表現されるのかもしれません。

そのような心を持つことは自分が奴隷根性を持つということではないのです。これらの言葉は自分と他者を融合してみることができる心持ちのことを表現しているのです。