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そして火葬場で

2022.06.27

category_[生と死]

前回に続き、義父の葬儀に関する記事を書いてみます。

無事の本葬が終了し、家内と一緒にすぐに火葬場に向かいました。

この葬祭場はほとんどの福岡市の火葬が行われる場所で、わたしは何回も訪れています。すごく広くきれいに管理されていて、遺族がストレスを感じないような気遣いを感じます。(刻の森葬祭場)

デジタル表示板を見ると、うちの火葬はは15番目でした。

火葬直前の控室で家族がご遺体に最後の挨拶をし、とうとう火葬が始まります。

家内が義父に挨拶をしている間、わたしは火葬に関する注意書きをなにげなく読んでいました。

眼鏡や貴金属は棺桶に入れてはいけないんですね、その理由をなるほどと思いながら読んでいたのですが、入れてはいけないものの最後に「他者の遺体や動物の骨」と書いてあって、理解するのに少し時間がかかりました。しばらく思考が停止して、その後働きだした頭でやっと意味がわかりました。きっと昔そんなことをした人がいたんですね。確かにご遺体の下に他者の遺体を入れようと思えば通夜の間に入れることはできます。証拠隠滅を図ろうとしたんでしょうね。でも火葬の後にも骨は残りますから、すぐにばれます。いろんなことを考える人がいるな・・・と。

火葬は2時間弱かかるのですが、その間親族は専用の控室に移動し、食事をしながら火葬が終わるのを待ちます。普段会わない親族と2時間近く一緒にいますので、故人にまつわる思い出話や雑談をしながら過ごします。もうこの時は悲しさを忘れ、だいたい笑いながら談笑することが多いです。しかし、いつ行ってもここでの時間は長く感じますね。

やっと呼び出しのアナウンスがあり、家族全員でお骨と対面しました。

人体を見る機会がない方は、まず火葬を通して変わり果てた故人のその姿に一斉に息を呑みます。たぶんこの時悲しみの感情は吹き飛びます。きっと火葬されたご本人を含めて、皆が心の中で「こんなふうになるったい!」と思ったことでしょう。

葬儀屋さんが骨壺を準備して、お骨を少しずつ壺に入れていくように誘導します。「これが骨盤です。」「これが脊椎で、これが足の指です」などと説明をしていきますが、「脊椎ってこんなに大きいの」とか言いながら義母も家内も家族は夢中で説明に聞き入っています。変わった説明があると、そのたびに「おお~っ!」と声が漏れます。わたしは後ろに立って離れてみていたのですが、理科の解剖実習みたいだなと思って見ていました。もう義父の面影はまったくないのですから仕方ないですよね。

ただ、骨壺にお骨を入れる習慣に関しては、わたしは以前からやめた方がいいと思っています。

最初にそう思ったのは、伯父の葬式の時だったと思います。本人が座っている姿をイメージして順番を考えながら隙間のないように入れてくださいと指示をされ、皆で交代しながらお骨を壺に入れていくのですが(最後は頭蓋骨で蓋をします。)、すべての作業が終わって骨壺のひもを締め終わった時のことでした。「残りのお骨は行政で責任をもって処分します。」と言われた時に、ものすごい衝撃を受けました。当然ですが、骨壺には全てのお骨は入らないのです。わたしは処分してもらえるなら、こんなにいらない!と正直思いました。中途半端に骨壺いっぱいのお骨をもらっても処分に困るのです。

田舎のお墓の掃除をしていたとき、お墓の蓋を開けると中にたくさんの骨壺が入っていてびっくりしました。会ったこともないような、名前しか見たことのないような親戚の骨壺がいっぱい入っているのです。わたしの次の世代になったら、もっと増えるでしょう。それも骨壺の中には一体分のあらゆる場所の骨が入っているのです。骨壺の数が増えてお墓に入りきれなくなったら、どうやって処分するんだろうと正直考えました。

もし持ち帰るのなら、わたしは骨とわからないような欠片を一ついただければいいです。それすらも本当はいらないのですが・・・。わたしの母の時はよっぽどいらないと言おうかと思ったのですが、その時になるとなかなか言えないものですね。

わたしの娘にはお骨はもらわないように遺言を残してあげようと思っています。