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怒りのコントロール

2022.07.04

category_[価値について]

心と感情はとても密接に関係しています。

今回は感情の中でもコントロールが難しい「怒り」に注目してみましょう。

特に感情が高ぶりすぎた状態(情動の氾濫状態)では自分で自分をコントロールすることがとても難しくなります。このような状態をよくわかるように表現しているのが次の文章です。

「氾濫」は、心拍数が安静時に比べて一分間で十上昇したあたりから始まる。心拍数が百に達すると(怒ったり泣いたりした時にはよくある)、からだはアドレナリンなどのホルモンを血中に放出してしばらくのあいだストレス状態を保とうとする。情動のハイジャックが起こる瞬間は、心拍数からもはっきりわかる。心臓が一拍打つだけの短い時間に、一分あたりに換算して十拍、二十拍、ときには三十拍相当も心拍数が増加するのだ。筋肉は緊張し、息苦しくなる。頭の中は有害な思考でいっぱいになり、逃れるすべもなく永遠に克服できそうもない恐れと怒りの波が押し寄せてくる。このように頭が完全にハイジャックされた状態になると情動があまりに強く、視野があまりに限られ、思考があまりに混乱しているので、他人の視点に立ってみる態度や理性的に事を処理する態度などは望むべくもない。

(EQ こころの知能指数 ダニエル・ゴールマン)

どんなに理性的な人でも、大脳辺縁系(特に扁桃体)に脳がハイジャックされてしまうと大脳新皮質を使ってものを考えることがとても難しくなります。

情動の氾濫は怒りだけでなく、悲しみや喜びなどいろんな感情でも起こる現象ですが、「怒り」が原因になった情動の氾濫は怒りの対象だけでなく自分も不幸にしてしまうやっかいなものです。

このような状態を日本語では「頭にくる」「とさかにくる」「腹が立つ」などと表現しますよね。不思議なことに日本語では怒りをからだの部位に結びつけて表現します。

もう少しこれらの言葉をくわしくイメージしてみてください。怒りが頭にあるときはコントロール困難な感じがします。脳がすべて怒りに支配されている感じで、他のことを考える余裕がありません。「頭がカッカ」していて「煮えたぎって」いる状態がまさしく情動の氾濫状態です。

しかしどうでしょう、怒りがおなかに降りて来ると少し理性が戻ってきている感じがしませんか?怒ってはいても、脳が別に働いている感じがします。怒りながらも自分を客観視して、どういう行動をとるべきか考えることができている状態です。

ですから、怒りにかられた時はまず怒りをおなかにおろしてみましょう。

こういうイメージトレーニングも重要なんです。

その次にはお腹の中で起こっていることをもっと具体的にイメージしてみます。

怒りの温度でおなかが溶けてしまいそうになりますよね。

そうして、おなかが溶鉱炉のようになったら、しめたものです。この状態をイメージできたら、脳はかなり冷静になっています。あれほどコントロール不能に思えた怒りが、おなかの熱という現象に代わってしまっています。何に対して怒っていたかといった表面的な問題は時間とともになくなってしまいます。

しかし時間の経過ですべてがなくなってしまうわけではありません。溶鉱炉の温度が冷めてくるとだんだんその液体は灯油のような油に変わります。

怒りという暴れ狂う化け物を自力でおさめきった、その心はとても強靭です。そして怒りをおさめきったその情的なエネルギーは蓄電池のように別なエネルギーに変換されて貯蓄されるのです。このエネルギーは、もし表面的でない深い愛情に出合ったら、瞬間にスパークできる情的なエネルギーなのです。このようなエネルギーは頭に血がのぼりやすい瞬間湯沸かし器のような人がけっして持ち合わせていないものです。表面的な成功にとらわれずに生き、忍耐しながら自分のこころと向き合った人にしか貯めることができません。

イエス・キリストのたとえ話に油とともし火を準備した10人の乙女の話がありますが、最後の日に彼女たちが準備すべきなのは、このような油なのです。

「自分の方が正しいのに」「そんな扱いをされる筋合いはないのに」こんな風に感じているときに、相手の立場や気持ちを思いやることはとてもできません。そんな時に役立つのが「今回は自分が損をしよう」という考え方です。損をするのはとてもつらいことですが、ただ損をしているわけではありません。損をしているようでいて、実は自分の中に情的なエネルギーつまり油を準備しているのですから。

この油はきっといつか役に立つはずです。